第三章
祭り
「今晩、パッタミカ叔母様は本当にいないのよね」
パッタミカ王女は今宵、郊外へご友人の葬儀に本当に行かれているのかと、アニン王女は再びプリックに確認する。
「身を粉にして言わなくても、確実にそうですよ」プリックは口角をあげ、次のように続ける。「宮殿に戻られるのは、恐らく夜更けになると思います」
「そんなに笑って、何を企んでいるのですか、王女様」ピンは、身構えながらアニン王女に声をかけた。
「今夜、この宮殿の裏手でお祭りをやってるのよー、ピンさん」煌めきを発するアニン王女の目はどんな言葉にも引けを取らない。「私はピンさんをそのお祭りに連れて行きたいなって思ってるの」
恐怖からピンは目を丸くする。
彼女が……果たして日が暮れた時間に出ていこうとするだろうか。
忍び出るようにお祭りに行く事なんて、以ての外だ。
夜の帳が落ちた後に宮殿から出ていくだなんて、想像をするだけでも恐ろしいというのに。
「私は行けません。危ないと思うわ」
「全然大丈夫ですよ、レディ・ピン。私めとアニン王女は、頻繁にこっそりと宮殿を抜け出て祭りに通っておりますが、全く危険はなかったですし、むしろ楽しすぎるくらいでした」
ピンの膝元で敬意を表しながら座っているプリックがきゃっきゃしながら問いに返してきた。それを聞いたピンの頭で同じ考えが何度も巡ってくる。アニン王女とその一味が規則等に縛られず自由に生きていることが、驚きだったようだ。
でも、その生き方を私を真似る必要なんてないじゃない……。
「一緒に行こう、ピンさん。こんな機会滅多にないじゃないですか」
アニン王女は目を細めながら、純真な眼差しをピンに向ける。それを見た彼女は王女を悲しませたくなかったので、否定と捉えられるような返事をしなかった。
最終的に、三人の少女は宮殿をこっそりと抜け出し、裏手側の出口へとたどり着いた。宮殿の裏手にやっている小さな祭りへと足を運ぶために。
ピンにとって……。
お祭りとは、ドキドキと思いを馳せるもので、光や色、音、周りの状況全てが体中を巡るようにかけ、乱反射する光の全てが視界に靄をかけるようだった。
そこには、より取り見取りの出店が左右に並んでいる。あっちは駄菓子の出店、こっちは料理の出店、例えばカノムチーンナムヤーカティ*だったりクワイティアオ炒め*だったり。しかし、一番目立ってるのはやはり、プリックが首を必死に伸ばして見つめているラムウォン踊りの場だろう。そこで踊っている年長の男性達と混ざって踊りたそうにしている。
行かない、否、そこに行けないのは、アニン王女に禁じられているからである。優しい声で添えられた理由はこうだ。
『プリックはまだまだ小さな女の子なの。ほら見て、台の上には酔っ払いしかいない。もし、子供好きのお年寄りがいて、ちょっかいを出して来たらと考えてみてよ。頭を悩ませるような問題事でしかないじゃない』
アニン王女からそのような命をもらってしまったら、誰が断れるのか。だから、プリックがお祭りに来た際は遠くから首を伸ばして見つめることしか出来ないのだ。
踊ることは出来ないけれど……。
プリックは自身の産みの親であるプライとユアンよりも、アニン王女の言う事を良く聞く。王女は手に負えないほどのやんちゃをするときもあるが、今回のように色々と考えを整理することもある。年に見合わずしっかり者な一面も持ち合わせているのだ。
「何を見ても新しいことの連続で、ワクワクが止まらないわ」アニン王女は体を弾ませながらそう口にする。
「でございますね」プリックが返す。
「しいぃっ」
アニン王女は人差し指を口に当て、プリックに宮殿外で敬語を使ってはいけない事を促す。
「本当そうじゃん!」
プリックはすぐに言い直した。その瞬間、レディ・ピンは、王女に対して隙あらばすぐに行き過ぎた事をするプリックに眉を顰める。
一方、アニン王女はプリックがそうすることを快く受け入れている。
「ピンちゃん」
「はい」
その発言が気に食わなかったとしても、ピンはしぶしぶそれを受け入れざるを得ない。
「どうしたのよ、難しい顔しちゃって」アニン王女は眉を丸めながら続けた。「綿菓子が食べたいの」
「別に、綿菓子なんて食べたいとは思っていませんよ、私……いえ、私はただ宮殿の誰かに見られているんじゃないかと心配なだけです...…」
「別に心配しなくて良いよ、アニンと言う人間がここにいるわけだし」エッヘンと言う言葉も聞こえてくるかのように、アニン王女は手で自身の胸をどんと叩く。それを見たピンの口はつい緩まり、笑みがこぼれる。
ピンはアニン王女が自分自身をそう呼んでいる事に、何とも言えない可愛らしさを覚えた。
「ピンちゃん、暑いのかしら?」
「いえ、別に大丈夫ですが」
「暑くないのなら、なぜそんなに頬が赤いのかしら」
「もしそうだったら暑いですね……今日は本当にじめじめ暑いし」ピンはさきほどの言葉をすぐに撤回し、言い直す。その後、どこか別のところに何か興味深いものがあるように振る舞う。
「暑いのだったら甘い物を飲むべきよ」アニン王女はそう呟く。「買いに行くわよ、プリック」
「プリックはソーダが飲みたい」
頭の中で甘さと爽快さが融合された様々なソーダの味を想像し、唾をごくりと飲まずにはいられない様子のプリック。
「もちろん良いわよ」アニン王女がそう言ってほほ笑み返し「今日は沢山お金があるんだから」とさらに続けた。
「毎日沢山あるでしょ、アニンちゃん」プリックはおちゃらけて返す。
「今日は特別なのよ。だって盗んで来たんだもの」王女の口角がにやりと上へと向く。
「母様の紙入から盗ってきたのかしら」プリックは慣れたように、主人への言葉遣いとは思えない形で返事をする。
「自分の貯金箱から盗ってきたのよ」
その言葉をしっかりと耳にしたプリックは、白目を剥きそうなほど眼球を上へと押し上げる。
「アニンはそうやって良く盗る盗る言うけど、結局はいつも自分の懐からなんだよ」レディ・ピンは漏れ出る言葉を止められなかった。「アニンは強盗と言う呼び名が欲しいだけじゃないの……」
「ピンちゃんはそんな風に思ってるの」
「はい」
「そうしたら...…。いつかピンちゃんの私物を盗ってやるんだから、見てなさい」
アニン王女は二つのえくぼがはっきりと見えるほどとびっきりの笑顔を見せる。
「アニンはまたそうやっていい加減に……」
ピンはそうボソボソと呟いて、何でもないと言う素振りを見せるが……。しかし、心の内では、何かつっかかりを感じている。アニン王女は私の何を盗ると言うのだろうか。私よりも家柄が良く、わざわざ盗りに来るものなんて無いだろうに。言い方も、本気な感じはしつつも、冗談交じりだったし。
しかし、先ほどの会話に全く付いてこれなかったのは、他の誰でもない少女プリックで、どのように夜更けに姫の部屋へと忍び込み、盗みを働くべきか現在進行形で思考を巡らせている。主人の命令に応えるのが、使用人としての務めなのである。
でも、一体何なのだろうか。王女がレディ・ピンからかっさらうと言ったものとは。
恐らく、まん丸と太った豚の貯金玉の一つであろう。
「ピンちゃんも飲みたいソーダを好きに選んでいいからね」
ガラスの瓶に色とりどりのソーダが閉じ込められている飲み物の出店にやってきたアニン王女が二人にそう言った。焦茶色を纏うそれはコーラ味で、その隣にある似たような色を持つソーダはルートビアで、飲み込むとヤーモンのようなハーブの香りが鼻を少しかすめる。深紫はぶどう、緑はソーダ、赤はサラク味と、ソーダがずらりと並んでいる。
「そしたら、私は赤色の物にしますわ」
レディ・ピンは、赤色で詰まった瓶を指さし、心の内で叔母が良く口にしていた言葉を思い浮かべる。
『人工甘味料入りの飲み物に栄養はない。その上、虫歯を作る原因になるの』
しかし、プリックとアニン王女がコーラをゴクっと喉へ流した後、目を閉じて幸せそうにしている姿を見たピンである。もう、それを試さずにはいられなかった。
甘さを含みつつ、爽快さを放つその飲み物を喉に通した瞬間、ピンは悟った。なぜ、祭りに一歩足を踏み入れた瞬間から、プリックがこれ待ち望んでいたのかを。
「あああああ」
「あああああ」
袋の中の液体を飲み終えたアニン王女とプリックは目を閉じ、ほぼ同時に変な声を上げる。
「アニン、プリック、その様な行為は止めてください。はしたないです」
レディ・ピンの甘い目は、今、切れ味の良い包丁よりも鋭くなった。が、それを面白いことだと捉える王女とその一味は、手を腰に当て、可愛らしく良い子の振りをする。
「ふん。もう、やんちゃが過ぎますよ、アニン。そうやって私に猫をかぶっていれば良いですわ。今後はもう、私は何も注意しませんから」
ピンはそう言うと、王女に対して睨みをきかした。淡い色を持つ彼女の唇は、その不機嫌さを語るかのように歪んだ。少し経つと、顔をさっと違う方へと向け、一度も振り返らずに二人の前を歩き出す。
「待って、ピンちゃん」
アニン王女の目にはいつも活力が無く、こんなにもやんちゃをするとは想像もしていなかったレディ・ピンも、激怒したその目を王女に向ける事しかできなかった。こんな風に、無視すること等、これまで一度もなかったのだ。
王女は、小さな背中に揺れる徳利蘭のような髪型の彼女を追いかけるしかなかった。なぜなら、ピンはとにかく逃げようとしているとも取れるような速度で足早に歩いていたからだ。
そして、アニン王女はやっとの思いで前を進む人の手首をつかみ、歩みを止めてもらう……。
「アニンをそこまで怒らないで、ピンちゃん」
ピンの美しい両目に激しい怒りが籠っていることが、王女の居心地を悪くした。
「ごめんなさい」
その声は、か細く柔らかだった。しかし、それ以上に、ピンの手首を掴むために伸ばされたその手は、聞こえた声よりも遥かに優しさが込められていた。
アニン王女は、レディ・ピンの手首を掴むだけではなく、母と離れたくない子どものように彼女の腕を揺らす。
「もう大丈夫です、アニン。他の人の視線が恥ずかしいです。私はそこまでアニンに怒ってません」
ピンは王女に手を離してもらおうとし、その間は唾を飲み込むことさえも難しいほどに心苦しかった。
「今日は本当に暑いみたいだね。ピンちゃんの顔を見てみてよ、八升豆のように真っ赤だわ」
プリックは随分と気になったのか、ピンの顔を覗き込むように見つめる。
「それって、野菜烏瓜って言うんじゃなくて」アニン王女がすぐさま訂正に入る。
しかし、こんなときでもおちゃらけていることをピンが嫌だと感じてしまうのではないかと思い立つ。
その後、王女は笑顔をこぼさず、すぐにしまい込んだ……。
「あれって綿菓子の出店なんじゃない、アニンちゃん。食べたてみたくない」食べ物以外に関心を置いていないプリックが、ウキウキと体をうねらせながら指をさす。
「もちろんいいわよ。ピンちゃんの分も買ってきてプリック。これを使ってね」
「ありがとね」目いっぱい開いた手の平でお金を受け取るや否や、プリックは綿菓子の出店へと体を向け、駆けていった。
「ピンはいつ綿菓子が食べたいと言ったのですか」口では怒ってないと言うものの、ピンの表情は素っ気ないままで、アニン王女も彼女の気持ちを掴めずにいた。
「ピンちゃんは食べたいとは言ってはいないけど、アニンが食べてもらいたいと思ってるの」このときから、アニン王女は口を開けることすら恐くなり、急激に大人しくなった。多少の言葉を口にした後、今まで悲観的な事を感じたことのない少女らしい笑みを少し見せる。
「戻ったよ、アニンちゃん、ピンちゃん」プリックは手に大きく膨らんだ綿菓子を手に添えて駆け足で戻ってきた。「アニンちゃんは空色、ピンちゃんは桃色で、私が黄色」
「プリックほど私の気持ちをわかってくれる人はいないわ」
「アニンは空色が好きだと知っている人は、他にいないもの」プリックはそう言うと口を大きく開け、鮮やかな黄色を放つ綿菓子をほおばった。
「私だってプリックみたいに知ってるわよ。アニンが空色好きなことぐらい、知ってるわよ」ピンはそう言うと、プリックに何とも言えない視線を向けた。「それにピンは桃色なんて好きじゃないし」
「嘘だ!」アニン王女とプリックが同時に大きな声を上げる。
「ピンちゃんは桃色が好きでしょう!」
アニン王女とそのお付きの者であるプリックは、負けじと声を合わせて言い返してくる。
「誰が……」ピンは何のことですか、と言わんばかりに、桃色の綿菓子を小さく少しずつ丁寧にほおばる。さすが、パッタミカ王女の姪だ。
「ピンちゃんの私物の大半が桃色で彩られてるじゃない」今回ばかりは、アニン王女は姫に対して口を開くことをやめなかった。
「アニンが正しいわ」プリックは王女の方を持ち、発言を繰り返す。
「桃色の物を使ってるからと言って、その色を好きとは限らないじゃないのよ」レディ・ピンは勝ち誇ったようにほほ笑み、その目からは狡猾さが見える。
このやんちゃな二人のことを惑わす機会などそうそうないから、今夜は楽しいものだ。
「ピン様」
どこからともなく聞こえた太く男らしいその声は、三人の少女の言い争いを一瞬で鎮める。
その声の持ち主は他の誰でもない、蓮宮の車の運転手であるプァームだった。子ども達は今にも眼球が飛び出そうなほど目を大きく開け、呼吸すらも忘れていた。
「ピン様は、本当にここにいらっしゃったのですね。パッタミカ王女様が、私めにここに探しに来るよう命じたのです」プァームは頭を下げながら、レディ・ピンに命を伝えていると、視界の端からアニン王女の姿が目に飛び込んできた。プァームは頭を下げるどころか、顔が膝につくほど体を折り、奇妙な状況だった。
「ええっと、王女様もこちらにいらっしゃったのですか」
「そうよ」アニン王女は落ち着いた声で返す。「私がここにピンさんを連れて来たの。だから、プァームは大ごとにしないで」
王女は今までないほど真面目な顔を見せる。レディ・ピンはと言うと俯き、一直線に唇を結んでいた。
「どうかお許しください、王女様。私めはパッタミカの命令に従い、ピンを蓮宮に送り届ける必要がございます」
板挟みになっているプァームの顔色からは、どうすれば良いのかと焦りが見え、それを見たプリックも哀れみを感じる。
「わかったわ」しばらくの沈黙を破り、王女は返事をする。
「それなら、ここにいる全員で行くわ」
【第四章 懲罰】に続く
*カノムチーンナムヤーカティ……米粉で作ったタイの素麺のようなものに、カレーやソースをつけて食べる料理。
*クワイティアオ炒め……センチャンという細麺を茹で、大蒜や紫玉葱、魚醤、ココナッツジュースなどと炒めたもの。
こちらは『ロイヤル・ピン』配信版です。
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